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仙台地方裁判所 昭和29年(行)7号 判決

原告 猪股義男

被告 宮城県国家地方警察隊長

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告が、昭和二十七年十月二十九日原告に対してした免職処分は、これを取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、

その請求の原因として、

「一、原告は、昭和十七年十月十日、宮城県巡査を拝命し、以来仙台、塩釜各警察署に勤務し、昭和二十二年十二月二十二日警察制度の改正と同時に、自治体警察である気仙沼町警察署巡査(地方公務員)となり、同署に勤務していたが、昭和二十六年十月一日、同署廃止とともに、即日国家地方警察宮城県巡査(国家公務員)となつて志津川地区警察署に昭和二十七年十月十日まで勤務し、その後、更に、仙台地区警察署福岡巡査派出所に勤務していた。ところが同月二十九日、被告は原告を『日常の素行行動が警察官としての信用を傷つけ、又、警察全体の不名誉となるような所為があり、民衆の儀表たる警察官として適格性を欠くものである。』との理由で免職処分に付し、即日国家公務員法第八十九条による処分事由説明書を原告に交付した。

被告は、原告の警察官としての適格性を欠く事由として

(イ)  原告が警察練習所在学中学歴を詐称し身上記録を変造したこと、

(ロ)  原告が気仙沼町警察署在勤中、無断自侭に出張したこと、職権を濫用し民事事件に介入したこと、上司の命令に服従せず職務を抛棄したこと、

(ハ)  志津川地区警察署在勤中、職権を濫用して不法な取調をしたこと、村長選挙運動に介入したこと、

の事実を挙げている。

二、しかし、原告は、宮城県巡査拝命以来、誠実勤勉に、ひたすら職務に精励し、その間屡々上司から表彰をうけており、警察官の適格性を欠く事由として被告が列挙するような事実はないのであるから、同月三十日、人事院に右免職処分の審査を請求したが、同院公平委員会は、昭和二十八年十一月二十日、前示(ロ)(ハ)の事実は認められないが(イ)の事実は認められるとして、被告のした右免職処分を承認する旨の判定をし、同月二十五日、その判定書を原告に送達した。

しかし、原告が警察官としての適格性を欠くものとしてなされた被告の免職処分は違法の処分であるから、その取消を求めるため本訴に及ぶ。」と述べ、

被告の主張事実に対し、

「被告主張第一の一の事実は認めるが、改ざんの年月日は、昭和二十二年十二月二十日頃である。原告が、塩釜警察署から、気仙沼町警察署に転勤する際、塩釜警察署の係官から、開封の身上記録を気仙沼警察署へ届けるようにと託されたが当時原告は、法政大学通信教育部法科の学生であつたところから、つい、体裁をつくるために虚偽の学歴を記載したものにすぎず、別に悪意があつて改ざんしたものではない。又改ざんするにつき、上司の許可を得ている。

被告主張第一の二の事実は認める。これも、右第一の一と同じ機会に改ざんしたものである。

塩釜警察署勤務当時、原告は、辞令はなかつたが事実上公安捜査係(刑事係)をしていたので、当時の同署警備係主任の承認を得て、身上記録に刑事専務員の経歴を記載したものであり、別に責められるべき筋合ではない。

被告主張第二の各事実中、二の昭和十八年十月頃、原告が減俸処分をうけたことは認めるが、その余の事実はすべて否認する。右第二の二は、留置場に拘禁中の被疑者が逃走したため、当日の宿直員全員が減俸処分をうけたもので、特に原告に職務怠慢の落度があつたわけではない。

仮りに、右被告主張第一、第二の各事実が認められるとしても、これらはいずれも数年前の事実であつて、その後、原告は警察官として屡々表彰をうけて、警察官としての適格性を有することを充分証明しているのみならず、原告は、警察機構の改革によつて、再度にわたり、自治体警察又は国家地方警察の職員として身分の切換をうけたが、その都度、審査が行われて、右事実は、いずれも、その発生の直後頃、上司の知るところとなつたにもかかわらず、当時、何ら問題とされなかつたもので、既に上司によつて宥恕されたものである。従つて、その後に至つてこれらの事実をとりあげて、原告の警察官としての適格性を否定し、免職の事由とした本件免職処分は違法である。」と述べた。

(立証省略)

被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、

本案前の主張として、

「国家公務員法第三条第四項は、『この法律により、人事院が処置する権限を与えられている部門においては、人事院の決定及び処分は、その定める手続により、人事院によつてのみ審査される。』とし、同条第五項は『前項の規定は、法律問題につき、裁判所に出訴する権利に影響を及ぼすものではない。』と規定し、更に、第九十二条は、不利益処分の審査請求に対してなされた人事院の判定は『最終のものであつて、人事院規則の定めるところにより、人事院によつてのみ審査される。』とし、右規定をうけて制定された人事院規則一三―一(職員の意に反する不利益な処分及び懲戒処分に関する審査の手続)は、人事院による再審について規定している。

これによつてみれば、不利益処分の事由となつた事実の存否についての審査は、人事院の専権に属し、人事院のした事実の認定は最終的なものであつて、右処分をうけた者は、人事院の判定が、法令に違背している場合に、法律問題として、裁判所に出訴し得るに止まり、右処分の事由となつた事実の存否についての人事院の認定を争つて裁判所に出訴することは許されないものと言わねばならない。

従つて、免職処分の事由となつた事実の存否を争つて、免職処分の取消を求める原告の本訴請求は許さるべきではない。」と述べ、

請求原因に対する答弁として、

「原告主張」の事実は認める。

原告主張二の事実中、原告がその主張の日、人事院に本件免職処分の審査を請求し、その主張の日、その主張のような判定がなされたことは認めるが、右判定書が昭和二十八年十一月二十五日原告に送達されたことは知らない。その余の事実は争う。

被告が、原告を警察官として必要な適格性を欠くものと認めた具体的な事情は、次のとおりである。

第一、国家公務員法第四十条、第百十条第一項第九号違反

一、昭和十七年十月宮城県警察練習所に入所したが、その在所中、東京府立第一中学校を卒業したことがないのにかかわらず、同校を卒業した旨、自己の巡査身上記録の記載を改ざんして、学歴につき、虚偽の記載をした。

二、昭和二十二年十二月、塩釜警察署から、気仙沼町警察署へ転勤するに際し、過去において、刑事専務を命ぜられた経歴はないのにかかわらず、これを命ぜられたことがある旨自己の巡査身上記録の記載を改ざんして、経歴につき、虚偽の記載をした。

第二、その他の服務規律違反

一、昭和十八年六月頃、星政利が詐欺、窃盗の被疑者として指名手配中のものであることを知りながら、同人と飲食遊興し、同人を東京方面に逃走せしめて捜査を妨害した。

二、昭和十八年十月、職務怠慢により、被疑者を逃走せしめ、減俸処分をうけた。

三、気仙沼町警察署在勤中

(一) 再三、上司の命に服従せず、勤務ぶりも専断気侭で、時に上司に対し、暴言を吐き、反抗の挙に出た。即ち、

(1) 昭和二十四年四、五月頃、上司から至急捜査の下命をうけ署を出たが、職務を怠つて漁業千葉孝之輔方において飲酒し、午後三時頃になつても復命せず、右上司からの注意に素直に応ぜす、上司に対し暴言を吐いて、威勢を示した。

(2) 昭和二十六年二月上旬頃、同署では「平和の声」関係の事件記録等を翌日までに検察庁に送付しなければならなかつたのでその準備に忙殺されていた際、監督の上司のすきをみて昼食時に在署員に飲酒させ、更に、特殊飲食店松風亭に連れ出し、飲酒遊興して、公務の遂行に支障を来たさせたのみでなく、上司の注意に対し、暴言を吐いた。

(3) 昭和二十五年秋頃、上司に報告することなく、無断で登米町、女川町方面に三、四日間捜査出張し、上司の注意に対し、暴言を吐いた。

(二) 二回職権濫用の告訴をうけ、警察の信用を傷つけた。

(三) 昭和二十三年夏頃、飲食店小野寺東助方女中を甘言をもつて連れ出し、強姦しようとして騒がれたため、未遂に終つたが、町の評判となり、著しく警察の信用を失わせた。

四、志津川地区警察署在勤中

(一) 内海利作等に対し、職権を濫用して自白を強要した。

(二) 無断で町道を損壊し、交通事故を起さしめた。

五、その他、次のような、警察官としての信用を傷つけるような行動があつた。

(一) 前記各勤務地で、度々、家賃、下宿料等を踏み倒した。

(二) 女性関係で問題を起した。即ち

(1) 昭和十八、九年頃、畑谷とし子と婚姻の約束の下に情交を結び、昭和十九年七月、男子を分娩させながら、その後、棄ててかえりみなかつた。

(2) 昭和十八年頃、仙台市内旅館ひさごやに下宿中、職務上家出娘として扱つた女性を、同旅館に止宿せしめて情交を結んだ。

右のような事由があるから、原告は、警察官としての適格性を欠くものであつて、原告を免職した被告の本件処分には何らの違法も存しない。原告の本訴請求は失当である。」と述べ、

原告の主張事実に対し、

「原告が、屡々上司から表彰をうけたことは認めるが、それは、犯罪の捜査検挙があつた場合は表彰を行う慣例になつているためにすぎず、原告が、誠実勤勉に、ひたすら職務に精励し、警察官として適格であるため、表彰したものではない。又、上司が原告のこれら非行を知りながら、これを宥恕したことは否認する。

仮りに、原告が職務に熱心であり、犯罪検挙率が優秀であるとしても、前記のように、上司の命に服従せず、同僚とも融和を欠くなど、職務の執行につき甚しく妥当を欠く行動があつた以上、警察官の職務の特殊性からいつて、原告は、警察官としての適格性を有しないものといわねばならない。」と述べた。

(立証省略)

理由

第一、先ず、被告の本案前の主張について判断する。

原告の本訴請求は、要するに、原告は、国家公務員たる国家地方警察宮城県巡査であつたところ、警察官としての適格性を欠くものであるとの理由で免職処分をうけたが、原告には、右処分の事由とされた適格性を欠くと認められるような事実は存しないから、右処分は国家公務員法第七十五条、第七十八条に反する違法の処分であり、その取消を求めるというのである。

憲法は、第三十二条において、すべての人に対し裁判所の裁判をうける権利を保障し、第七十六条第一項において、司法権は、裁判所に属すると規定し、同条第二項において、行政機関は終審として裁判を行うことができないと定めていて、行政機関のした行政行為が違法であるかどうかについても、最終的には、裁判所の審判をうけ得ることを保障している。国家公務員法第三条第五項が、「前項の規定は、法律問題につき裁判所に出訴する権利に影響を及ぼすものではない。」と規定しているのは、右憲法の規定と同趣旨である。

そして、行政処分が適法であるかどうかを判断するためには、その前提として事実の認定をしなければならないから、裁判所が最終的に事実を認定する権限を有することは、憲法の保障するところであるといわなければならない。国家公務員法第三条第四項は、「この法律により、人事院が処置する権限を与えられている部門においては、人事院の決定及び処分は、その定める手続により、人事院によつてのみ審査される。」と定め、又、同法第九十二条第三項は、「前二項の判定は、最終のものであつて、人事院規則の定めるところにより、人事院によつてのみ審査される。」と規定しており、一見、職員の意に反する不利益な処分の審査の際の事実認定について、人事院の判断を最終的なものとしているようにも見えるが、同法第三条第五項の規定と対照するときは、法律上の争訟の裁判が裁判所の権限に属するという憲法上の原則に反するものとは考えられないところであり、右第三条第四項、第九十二条第三項の規定は、人事院が行政機関として最終の審判をする権限を有し、他の行政機関の干渉をうけないことを規定したものであつて、裁判所の事実認定の権限を制限するものでないことが明らかである。

従つて、当裁判所は、本件免職処分の適法性を審判するため、その前提として免職処分の事由となるべき事実の存否を審査する権限を有するものといわなければならないから、被告の本案前の主張は採用できない。

第二、次に本案について判断する。

原告は、昭和十七年十月十日、宮城県巡査を拝命し、以来、仙台塩釜両警察署に勤務していたが、昭和二十二年十二月二十二日、警察制度の改革に伴い、自治体警察である気仙沼町警察署巡査(地方公務員)となり、同署において勤務したこと、昭和二十六年十月一日、同署廃止とともに、即日、国家地方警察宮城県巡査(国家公務員)となつて、昭和二十七年十月十日まで、志津川地区警察署に勤務し、その後、仙台地区警察署福岡巡査派出所に勤務していたところ、同月二十九日、被告から免職処分をうけ、即日、被告から、右処分につき国家公務員法第八十九条による処分事由説明書の交付をうけたこと、右説明書には、「日常の素行行動が警察官としての信用を傷つけ、又、警察全体の不名誉となるような所為があり、民衆の儀表たる警察官として適格性を欠くものである」旨右処分の事由が記載されていたこと、原告は同月三十日、人事院に右処分の審査を請求し、昭和二十八年十一月二十日、同院公平委員会は、右処分を承認する旨の判定をしたことは、いずれも当事者間争いなく、成立に争いない乙第二十二号証の一によると、右判定書正本は、同月二十四日、人事院から被告に発送されているから、特別の事情の認められない本件においては、同日頃、原告に対しても発送され、原告において受領したものと認められる。

そこで、原告が、警察官の職務に必要な適格性を欠くものであるか否かについて、考察する。

一、身上記録の虚偽記載

(一)  学歴の詐称(被告主張第一の一)

成立に争いない甲第十二号証の一、二、三及び原告本人尋問の結果によると、原告は、昭和十年三月、宮城県登米郡宝江尋常高等小学校を卒業、同年四月、朝鮮総督府竜山鉄道学校入学、同年十一月、同校卒業、同年十二月以降朝鮮鉄道局人事課に勤務中、昭和十四年三月、志願兵として入隊し、昭和十七年六月、現役満期により除隊した経歴をもつことが認められる。

そして、原告は、東京府立第一中学校を卒業したことはないのにかかわらず、自己の巡査身上記録の記載を改ざんし、右中学校を卒業した旨虚偽の記載をしたことは当事者間争いがない。

成立に争いない乙第二十四号証の一及び証人菅原久助、村上敬一郎、大宮司功、岡本明治の証言、原告本人尋問の結果を綜合すると、原告は、昭和十七年十月十日宮城県巡査を拝命し、宮城県警察練習所に在所中、巡査身上記録を二部作成提出し、そのうち一部は宮城県警察本部において、他の一部は、警察練習所在所中は同所、その後は、本人の所属庁において、それぞれ保管されていたが、原告は昭和二十二年十二月二十日頃、塩釜警察署から気仙沼町警察署に転勤するについて、塩釜警察署係員から、右身上記録を気仙沼町警察署に携行するよう託された際、右身上記録中「拝命前ノ履歴」の欄中「学術上ノ事項」の欄に「昭和十、三宮城県登米郡宝江尋常高等小学校卒業、昭和十二、十一朝鮮総督府竜山鉄道学校卒業」と四行に記載してある部分に貼り紙してその上に「昭和八、三宮城県登米郡宝江尋常高等小学校尋常科卒業、昭和十三、三東京府立第一中学校卒業」と記載し改ざんを行つたものと認められる。成立に争いない乙第二十二号証の二及び原告本人尋問の結果を綜合すれば、昭和二十四年四、五月頃気仙沼町警察署次席佐藤常松警部補は、前示改ざんは、原告が警察練習所在所中教官の許可を得てこれをなした旨の原告の言を信用して、改ざんした部分の上欄にそのことを記載した附箋(乙第二十四号証の二)を貼附したことを認めることができるから、乙第二十四号証の二を以てしても、右認定を動かすに足りない。

(二)  経歴の詐称(被告主張第一の二)

原告が、昭和二十二年十二月、塩釜警察署から気仙沼町警察署に転勤するに際し、過去において刑事専務員を命ぜられた経歴はないのにかかわらず、その経歴があるかのように巡査身上記録を改ざんしたことについては当事者間争いがない。

前記乙第二十四号証の一及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、右巡査身上記録中「拝命後ノ履歴」の欄中の「転署及詰所」の欄に「昭和二十二年十二月十二日気仙沼町警察署勤務ヲ命ズ」と記載してある行に貼り紙してその上に「昭和二十二年八月十二日刑事専務ヲ命ズ」と記載し、その次の行に「昭和二十二年十二月二十二日気仙沼町警察署勤務ヲ命ズ」と記載して改ざんを行つたことを認めることができる。

原告は、右は、塩釜警察署在勤中、事実上、公安捜査係(刑事係)として勤務していたので、当時の同署警備係主任の許可を得て記載したと主張するが、右主張に副う原告本人尋問の結果は、未だ措信し難く、成立に争いない乙第四、五号証、証人菅原久助の証言によつてもこれを認めることができない。かえつて、前記乙第二十二号証の二、第二十四号証の一、証人岡本明治、高橋寛、熊谷忠治、佐々木清一、阿部忠光の証言によると、原告は、同署在勤中、一般外勤勤務、即ち、派出所詰及び受持区域内の戸籍調査、営業の監督、衛生の取締、犯罪の検挙、警ら等に当る勤務を命ぜられ、これに従事していたもので、実際上公安捜査係(刑事係)の事務に従事していたことはなかつたことが認められる。

従つて、右改ざんは上司の許可を得たとの原告の主張は採用できない。

二、被告主張の各服務規律違反

(一)  指名手配中の被疑者星政利と飲食遊興し、逃走させたこと(被告主張第二の一)

成立に争いない乙第三号証の一、二、第十六、十七号証、第二十二号証の二、第二十四号証の一を綜合すると、原告は、四ケ月の警察練習所における練習終了後、直ちに、昭和十八年二月十日仙台警察署に配属され、同月十三日から、同年六月十六日、塩釜警察署に転勤するまで、仙台市東三番丁巡査派出所に勤務し、その間同市元寺小路百三番地、佐々木旅館(元ひさご館)こと佐々木直三郎方に下宿していたこと、同年五、六月頃、当時の宮城県警察部刑事課捜査主任服部義邦警部補及び同課刑事専務千葉水男巡査部長は、同旅館に下宿していた星を詐欺、窃盗の嫌疑で逮捕するため同旅館に赴いたが、たまたま、星は不在で逮捕できなかつたので、旅館の者に星が帰館したら直ちに仙台警察署又は、所轄東三番丁巡査派出所に連絡するよう伝えた上、右派出所に行き、原告その他の勤務員に、星は詐欺、窃盗の被疑者であるから、右旅館を監視し、帰宿したら逮捕するように命じたこと、ところが原告は、その夕方右旅館に帰館し、旅館の者からも、星が被疑者として手配中である旨聞かされ、丁度帰館していた星と夕食を共にし、つれ立つて同館を出たにもかかわらず同人を逮捕又は連行せず、且つ上司に何らの連絡もせず、そのまま同人が、東京方面に逃走するのを黙認したことを認めるに足り、この点に関する原告本人尋問の結果は措信し難く、証人高橋寛、佐藤仁の証言は、右認定を左右するに足りない。

星が、右旅館に止宿中、原告はこれと度々遊興飲食を共にしたことは、前記乙第三号証の一、二、第十六号証によつて認めることができ、この点に関する原告本人尋問の結果は信じ難い。しかし、右遊興飲食の際、原告は星が詐欺、窃盗の被疑者であることを知つていたかのような乙第十七号証中の記載部分は、たやすく信をおき難く、乙第三号証の一、二、第十六号証によつても、未だ原告がこれを知つていた事実を認めるに足りない。

従つて、原告が星を詐欺、窃盗の被疑者と知りながら、これと遊興飲食を共にしたことは認められないけれども、原告が、星を指名手配中の被疑者と知りながら、逮捕も上司への連絡もせず、その逃走するのを黙認したことは、これを認めることができる。

(二)  職務怠慢により、被疑者を逃走させ減俸処分を受けたこと(被告主張第二の二)

昭和十八年十月、原告が減俸処分をうけたことは当事者間争いないが、右処分は、原告がその職務怠慢によつて被疑者を逃走させたことによるものであるとの被告主張事実は、これを認めるに足る証拠が存しない。かえつて、その外観と体裁により、原告使用の警察手帳であり、且つ、真正に成立したものであることが認められる甲第六号証の一、二、証人熊谷忠治の証言、原告本人尋問の結果によると右処分は、原告の塩釜警察署在勤中、昭和十八年十月十二日夜、原告及びその上司熊谷忠治等数名の署員が当直勤務に従事していた際、留置中の窃盗被疑者一名が監房から逃走したことの責任を問われたものであるが、当夜は、原告を含む三名の巡査が勤務割を定めて交替に看守勤務に当つており、長沢巡査の看守担当時間中に右被疑者が逃走したのであるが、当夜の当直員全員が連帯的に責任を問われ、減俸処分に処せられたものであることを認めることができる。

従つて、右被疑者の逃走は、原告にも間接的な責任があるにしても、原告自身の直接の職務怠慢に基くものとは認められないから、右減俸処分をうけたことをもつて、原告の警察官としての適格性を疑う資料とするのは妥当でない。

(三)  気仙沼町警察署在勤中の服務規律違反

(1)(イ) 捜査を怠つて飲酒し、上司に暴言を吐いたこと(被告主張第二の三の(一)の(1))

成立に争いない乙第二号証並びに証人白鳥四郎の証言(第一回)によると、昭和二十四年春頃、当時同署刑事係の刑事専務員であつた原告は、出勤直後、直属上司である刑事係長の白鳥四郎警部補から、緊急事項について至急捜査の下命をうけ、気仙沼町内に赴いたが、同日午後に至つても、何ら復命がなかつたので、白鳥警部補が、その所在を調査させたところ、原告は、捜査を怠り、同町漁業、千葉孝之輔方で飲酒していることが判明したので、同警部補は直ちに部下を赴かせて注意を与えたが、原告は素直にこれに応ぜず、右警部補のもとに来て、同人に対し「刑事係員は結束して我々刑事の自由を束縛するような刑事係長を追放しなければならない」などと暴言を吐き、結局下命に対する復命はしなかつたことが認められ、これに反する証人高橋保男の証言は、未だ措信するに足りない。

(ロ) 勤務中の署員を煽動飲酒させた上、上司に暴言を吐いたこと(被告主張第二の三の(一)の(2))

前記乙第二号証並びに証人白鳥四郎の証言(第一回)によると、昭和二十六年二月上旬頃、同署では、政令第三二五号並びに団体等規制令違反被疑事件の捜査記録、証拠品等を翌日までに検察庁へ追送する必要があり、その準備のため繁忙を極めていたところ、署長及び次席が不在のため在署責任者として全般の指揮監督に当つていた前記白鳥警部補が、昼頃所用で中座したすきに、原告は、たまたま消防団から寄贈されていた清酒数本を持ち出して、他の署員に飲ませたうえ、更に、自ら先導して、これを同町太田、飲食店松風亭こと大和田松治郎方につれ出し、飲酒遊興したので、所用を終えて席にもどつてこれを知つた白鳥警部補が、電話で注意を与え、全員帰署させたところ、原告だけは素直に帰署しなかつたのみか、他の署員はその不規律を詑びたのに、原告ひとりは右警部補に対し、「ばかやろう。俺のことは俺でするから干渉するな。」などと暴言を吐き、反抗の態度を示したこと、このため酩酊した署員は執務がよくできない状態になつたので、同署では、他の捜査出張中の署員を至急呼びもどし、非番中の署員にも応援を求めてようやく翌日定刻までに書類証拠品を検察庁に追送することができたことを認めるに充分である。

(ハ) 無断出張(被告主張第二の三の(一)の(3))

その外観と体裁により、原告使用の警察手帳であり、且つ、真正に成立したものと認める甲第九号証の一、二、証人菅原喜男の証言を綜合すると、昭和二十五年七月二十八日、気仙沼町の昆新旅館に、宿泊料踏み倒しの事件があり、その捜査に当つた原告は、刑事係の直属上司である菅原喜男巡査部長に、犯人は同町歌津旅館の宿泊料も踏み倒した上、登米郡登米町方面に逃走したようだから、捜査の為、同町に出張したい旨話し、同巡査部長の了解を得て登米町に出張したこと、更に、同町から気仙沼町警察署に電話で、犯人は牡鹿郡女川町方面へ行つたらしいから女川町へ行く旨連絡して千葉巡査に上司への報告を依頼した上、女川町へ出張したが、右巡査部長は、千葉巡査からこの旨の報告をうけ、捜査上必要なものと了承したこと、結局犯人逮捕に至らないまま、原告は、同年八月一日から三日まで通計三日の出張の上帰署したことを認めることができる。

原告の右出張は、前記乙第二、五、二十六号証、証人白鳥四郎(第一回)、千葉雪男(第一回)の証言によると、署長、次席、刑事係長の事前の決裁を得ないものであることが認められるが、右のように、直接の上司たる菅原巡査部長の事前又は事後の了承の下に行われたと認められるから、これを右決裁を経なかつただけで、無断出張として責めることはできない。

(2) 職権濫用の告訴をうけたこと(被告主張第二の三の(二))

(イ) 成立に争いない乙第二、四、五、十四号証、証人平沢敏夫、高橋保男、菅原喜男、白鳥四郎(第一回)の証言を綜合すると、昭和二十五年十二月九日、気仙沼町古町三五六番地の二、小野寺勲から、気仙沼区検察庁検察官に対し、原告に対する告訴がなされたこと、右告訴事実の要旨は、同月三日午後十時頃、小野寺が友人と共に通行中、オートバイで通りかかつた原告が、小野寺に対し、同人が交通妨害をしたと言いがかりをつけ、同人の胸ぐらをつかんでゆすぶり、足で蹴つた上、路上に転倒させるなどの暴行を加えたというのであることが認められるけれども、右乙第二号証、証人白鳥四郎の証言(第一回)中、右告訴事実に該当する事実が存したとの部分は、たやすく措信し難く、乙第四、五、十四号証及び証人菅原喜男、石森正家の証言その他をもつてしても、告訴されたような事実があつたことを認めるに足りない。

(ロ) 更に、成立に争いのない乙第五、六、十二、十四号証によると、原告は、同署在勤中、岩手県一ノ関在住の古物商から、仙台地方検察庁気仙沼支部に対し、買うといつて洋服を受け取りながら代金を支払わないというので告訴されたことが認められるけれども、右告訴の内容となつたような事実を認めるに足る証拠は更に存しない。

右の外に原告が告訴をうけたことは、成立に争いない乙第二、五、十二、十四号証を以てしても、これを認めることができない。

(ハ) このように、原告は、二回告訴をうけていることが認められるが、告訴にかかる事実の存否が明らかでない以上、告訴をうけたという一事のみを以て、直ちに原告を非難し、その警察官としての適格性を疑うことはできない。

(3) 強姦未遂(被告主張第二の三の(三))

成立に争いない乙第二、五、九、二十一号証、並びに証人白鳥四郎(第一、二回)、高橋保男、菅原喜男の各証言を綜合すると、昭和二十三、四年夏頃、気仙沼町、カフエー「浜千鳥」こと小野寺東助方の女給が、夜外から帰り、「原告に、陳山公園に誘い出されて強姦されそうになつた」旨主人小野寺に告げたことがあり、このことが、当時相当町内の噂になつたので、上司である白鳥警部補、菅原巡査部長らにおいて、事実であるかどうかを調査したが、原告は、これを右女給のいいがかりとして否定し、それに、右女給は当時、既に気仙沼にはいなかつたため、結局、ことの真相は不明のままに終つたことが認められるが、右強姦未遂の事実を認めるに足る証拠は存しない。

このようにことの真偽が不明である以上、いかに町民の間に原告の強姦未遂の評判があつたにしても、これをとらえて原告の行状を云々する資料とすることはできない。

(四)  志津川地区警察署在勤中の服務規律違反

(1) 職権濫用、自白強要(被告主張第二の四の(一))

(イ) 外観と体裁により原告使用の警察手帳であり、且つ真正に成立したものと認められる甲第十一号証の一、二、成立に争いない乙第八号証、証人岩井昭吾、伊藤庄三郎、松元影春の各証言並びに原告本人尋問の結果を綜合すると、原告は、昭和二十六年十二月十一日頃、本吉郡歌津村伊里前駐在所において、同村製塩組合長内海利作を塩の販売代金の業務上横領等の被疑者として取り調べたことが認められるけれども、その際原告が内海に対し、職権を濫用して不法の取調をし、自白を強要したようなことを認めるに足る証拠は全く存しない。

(ロ) 又、甲第十一号証の一、二、成立に争いない乙第十三号証を綜合すると、原告は、登米郡米山村大字中津山、農業、千葉忠治を昭和二十四年九月頃、右歌津村製塩組合から塩八十俵を騙取した嫌疑で、昭和二十七年一月二十三日頃、佐沼地区警察署二階において取り調べたことが認められるが原告が、右取調にあたり、職権を濫用して不法な取調を行い、自白を強要したことは乙第十三号証、第十八号証その他の証拠によつてもこれを認めることができない。

(2) 町道を損壊し、交通事故を起させたこと(被告主張第二の四の(二))

成立に争いない乙第十一号証、証人伊藤庄三郎、松元彰春、高橋保男の証言を綜合すると、昭和二十七年夏頃、志津川町では、原告の居住していた同町松原の三浦円治郎方のそばを通つて町道を新設したが、そのために原告宅の近くにあつた共同井戸の位置は、新設路面より、約一尺も低くなり、排水のみちがなくなつたので、その周囲は汚水が溜まり、蛆がわいて、きわめて不衛生な状態になつたこと、原告は、これを見て同町役場に汚水の処置を再三要求したが同役場は何の処置もしなかつたため、原告は、憤慨して自ら汚水を排水できる程度に新設道路を横断して幅一尺、深さ一尺位の溝を掘つたこと、その部分には、後に町役場の手により土管が埋められたことが認められる。

又、証人松元彰春、高橋保男の証言によると、右の箇所を通行したトラツクが、この溝に車輪を突込んだことがあることが認められるが、それは、車輪がはまり込んで、トラツクが動けなくなる程のものであつたとは認められず、証人村上敬一郎の証言及び前記乙第十一号証中、これに反する部分はたやすく措信し難いところであり、他に原告が町道を掘つたために交通事故が起つたことを認め得る証拠は存しない。

従つて、原告が町道を掘つたのは、町役場の了解を得たものではなかつたことが明らかであるが、これは町役場が、汚水が充満して蛆がわいた状態を放置して何の処置もしないので、公衆衛生のため、やむを得ずしたものと認められるから、あながち原告を責める訳にはゆかないし、又、原告の掘つた溝にトラツクが車輪を突込んだのもとうてい交通事故といえるものではなかつたことが明らかであるから、これらをとらえて、原告の警察官としての適格性を疑う資料とすることは失当である。

(五)  その他の警察官の信用を傷つける行為

(1) 家賃、下宿料等の踏み倒し(被告主張第二の五の(一))

(イ) 成立に争いない乙第七号証の一、二によると、塩釜警察署に在勤していた昭和二十二年春頃から秋頃にかけ、原告は親類の者、おじ、めい、などと称する者を数回にわたり塩釜市内門前「一森旅館」こと佐藤正方に斡旋して宿泊させたことが明らかである。しかし右各証拠によれば同旅館では、これらを宿帳に記載しなかつたことが認められるし、証人吉野正次、猪又芳子、猪又文治郎の証言によると、同証人らはそれぞれ原告の知人、実姉及びおじであるが、その頃、原告を塩釜に訪ねた際、右一森旅館にいずれも一泊したこと、吉野及び文治郎は、それぞれ単独で、芳子は女性一名及び子供二名を連れて宿泊したのであるが、いずれもその宿泊料は各証人において直ぐに支払つたことが認められるから、これらの事実を綜合すると、前記乙号証中、佐藤正の、原告が連れて来た者の宿泊料は、いずれも原告自身が支払う旨約束しておきながら、これを全く支払わないとの供述記載部分及び証人村上敬一郎の証言は、にわかにこれを措信することができない。他に原告が同旅館の宿泊料を踏み倒したことを認めるに足る証拠は存しない。

(ロ) 成立に争いない乙第十九号証、証人菅原喜男、伊藤孝太郎の証言を綜合すると、気仙沼町警察署在勤中、原告は、昭和二十四年十月から、同二十六年十月まで、上司白鳥警部補の紹介で、同町漁業、畠山泰蔵所有家屋を借りて居住していたがその間、家賃は全く支払わなかつたことが認められるが、右各証拠によると、畠山は、原告との間に家賃を取り極めたことはなく、又原告に全く家賃の支払を請求しなかつたこと、当時同署に勤務していた伊藤孝太郎及び阿部巡査も、同署田中巡査部長の斡旋により、右畠山所有の加工場の一室に下宿していたが、畠山は下宿料について、何らの取極めもせず、又、右巡査らが適当な金額を提供しても受領しなかつたので、同巡査等は畠山方の祝儀や不祝儀の際、下宿料相当のものを差し出していたこと、原告は、当時上司たる菅原喜男巡査部長に、畠山は家賃を取らないが、どうしようと相談したので、菅原巡査部長は、盆、正月や祝儀などの折に、家賃相当のものを出したらよい、と答えたことがあることなどをうかがうことができる。

このような事情の下にあつたと認められる以上、原告が、畠山に家賃としては何も支払わなかつたことを不当とすることはできない。

(ハ) 乙第十八号証(阿部ふみじの司法警察員に対する供述調書)中志津川警察署在勤中、原告が阿部ふみじ方に間借りしていた際、賃料は一カ月金千円の定めであるにもかかわらず、一カ月金五百円づつしか支払わなかつたとの阿部ふみじの供述記載は未だ心証を惹くに足りず、他にこの事実を認めるに足る証拠は存しない。

(ニ) 乙第二十号証(畠山たねの司法警察員に対する供述調書)中気仙沼町警察署在勤当時、原告は、大工にシエパード用の大きい犬小屋を三箇作らせながら、その材料費、工賃などを支払わなかつた旨の畠山たねの供述記載は、たやすく措信できず、他にこの点を認めるべき証拠は存しない。かえつて、証人昆野享平の証言によれば、同人が昭和二十四年八月頃、原告の依頼をうけて、犬小屋一箇を作つた際は、原告から材料の提供をうけ、工賃は、全額原告から支払をうけたことが認められる。

他には、原告が賃料、止宿料、工賃などを踏み倒したと認めるに足る証拠は存しない。

(2) 女性関係

(イ) 畑谷とし子との関係(被告主張第二の五の(二)の(1))

成立に争いない乙第二号証、第二十四号証の一、証人高橋寛、佐藤仁の証言により原告使用の警察手帳であり、且つ、真正に成立したものと認める甲第五号証の一、七に、証人猪又芳子の証言、原告本人尋問の結果を綜合すると、原告は、昭和十八年三、四月頃仙台市東三番丁巡査派出所に勤務していた際、受持区域内の東三番丁高田旅館女中、畑谷とし子(当時二十三、四歳)と知り合い、交際中、将来婚姻する約束のもとに、これと情交関係を結んだこと、原告と、とし子の直接の交渉はその後原告が昭和十八年六月十六日塩釜警察署に転勤し、昭和十九年六月十日応召したので途絶したが、少くとも昭和十八年六月二十一日頃までは続いていたこと、とし子は男児敏義を昭和十九年七月十七日分娩したこと、原告は、昭和二十一年六月八日復員したが、その後現在の妻と婚姻し、とし子とは、結局婚姻するに至らなかつたことを認めることができる。原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分はたやすく信ずることができない。敏義が、とし子と原告との間の子であることについては、乙第十五号証中、これに副う部分は、前記認定に照らし、たやすく措信し難く、乙第二十二号証の二、証人猪又芳子、大宮司功の証言によつてはこれを認定することができない。

右のように原告は、とし子と婚姻の約束をして情交を結びながら、これと婚姻しなかつたことが認められるが、原告が右婚姻の約束を履行しなかつたことについてその責に帰すべき事情があつたことを認むべき証拠はないから、このことが原告に、とし子に対する民事上の責任を生じさせることがあり得るのはかくべつ、直ちにこれをもつて原告の警察官としての適格性の有無を判断するのは早計であるといわねばならない。

(ロ) 家出娘との関係(被告主張第二の五の(二)の(ロ))

証人大宮司功の証言により原告使用の警察手帳であり、且つ、真正に成立したものと認める甲第四号証の一、三、五、六、証人高橋寛、佐藤仁の証言により原告使用の警察手帳であり、且つ、真正に成立したものと認める甲第五号証の一、六、前記乙第三号証の一、及び証人寿田直吉、高橋寛、佐藤仁の証言並びに原告本人尋問の結果を綜合すると、昭和十八年三月二十日頃原告が前記東三番丁巡査派出所に勤務していた際、福島県猪苗代町出身の寿田貴美子(当時二十歳前後)を不審尋問したところ、同女は精神異常者であり、家出人であることが判明したこと、原告は、止宿先を世話してほしいという同女の頼みで、自分の当時の下宿先である前記佐々木旅館中の自己の部屋とは別の一室に同女を一、二晩宿泊の斡旋をした上、当時見習士官として仙台の部隊にいた同女の親類の者に連絡して、同女を引き取らせたこと、貴美子は、同年四月上旬、再び家出して来て、佐々木旅館の原告の自室とは別の一室に、数晩宿泊したが、原告は直ちに同女の叔父である福島県猪苗代町在住の寿田直吉に、電話で、同女の身柄引取方を手配し、同女の親類の者が来仙して同女を引き取つていつたことを認めることができ、乙第三号証の一中、右認定に反する部分はたやすく信じ難い。しかし、原告が、貴美子を佐々木旅館に止宿させた際、これと情交を結んだという被告主張事実については、乙第三号証の一のうちこれに副う部分は措信し難く、乙第一号証、証人大宮司功の証言その他の証拠によつてもこれを認めるに足りない。

三、以上認定一の(一)学歴詐称、(二)経歴詐称の所為は、人事記録たる巡査身上記録について、虚偽の記載をしたものであるから、国家公務員法第四十条に違反するものであつて、同法第百十条第一項第九号において、懲役又は罰金を課すべき場合に該当する犯罪行為である。このような所為は、法令を忠実に遵守擁護し、良心に従つて行動する責務のある警察官にふさわしくないまことに遺憾な行為であるといわなければならない。

右事実と、前記認定二のうち(一)指名手配中の被疑者星政利の逃走を黙認したこと、(三)の(1)の(イ)気仙沼町警察署在勤中、昭和二十四年春頃上司の命令を無視して捜査を怠り飲酒し、上司に暴言を吐いたこと、(ロ)同署在勤中昭和二十六年二月上旬頃、執務時間中、署員を煽動飲酒させたうえ、上司に暴言を吐いたことの各服務規律違反の事実を綜合すると、原告は、規律観念に乏しく、且つ、しばしば上司の命に従わず、職務の執行が専断にわたる嫌いがあり、秩序意識に薄いものと認められる。

従つて、原告は、職務の性質上規律と秩序の強く要求される警察官として極めて重要な規律観念と秩序意識に乏しく、警察官たる適格性を欠くものであつて、国家公務員法第七十八条第三号に該当するといわなければならない。

(一)  原告は、仮りに右のような事実があつても、原告は、職務上、幾回となく表彰をうけているから、警察官として適格性を有することが明らかであると主張する。

成立に争いない甲第二号証の一ないし四十五、第三号証の四、六、及び原告本人尋問の結果によると、原告は、昭和十八年十月頃から、昭和二十七年八月頃までの間に、犯罪検挙に関し、四十回余にわたる賞状をうけ、気仙沼町警察署在勤中は、昭和二十三年度の犯罪検挙成績の最優秀賞、昭和二十四年度の犯罪検挙成績の優秀賞、昭和二十四年五月の犯罪検挙強調月間の優秀賞をそれぞれ受けていること、昭和二十二年六月三十日には、精勤証書、昭和二十六年九月二十九日には、気仙沼町警察署長の賞詞及び同町公安委員長から感謝状をうけていること、昭和二十七年三月十五日には、同年度教養逮捕術特科の優秀賞及び皆勤賞をうけていることが認められる。

しかし、前記乙第四号証、証人大宮司功、村上敬一郎、高橋寛、熊谷忠治、千葉雪男(第二回)、白鳥四郎(第二回)の証言を綜合すると、右のうち犯罪検挙関係の諸賞は、気仙沼町警察署においては、港町の関係上、署員数に比して事件数が極めて多く、繁忙を極めていたので、いきおい、署員全部に総花的に与えられるようになつていたこと、精勤証書の授与には一定の基準があるが、実際上は五年程度普通に勤務すれば殆んどの者に与えられること、気仙沼町警察署長による賞詞と、同町公安委員長による感謝状とはは、同警察が廃止になる際、従来の署員に慰労の意味で授与されたことが認められる。

証人佐々木清一、千葉長人の証言及び原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は、たやすく信じ難い。

従つて、以上認定表彰の事実は原告が組織体たる警察の一員としての規律と秩序の意識に乏しく、警察官として要求される重要な資質に欠けるものとの認定を妨げるものではない。

従つて、原告の右主張は採用し難い。

(二)  原告は、先に認定した諸事実が警察官としての適格性を否定するに足るものであるとしても、それぞれその事実発生の直後頃、上司によつて宥恕をうけていると主張する。

(イ) 右第二の一の(一)に認定した学歴詐称の事実について、原告の右主張に副うかのように、原告の巡査身上記録(乙第二十四号証の一)には、右改ざんされた部分の上部に、右訂正が原告の警察練習所在所中、教官の許可を得てなされたものであつて、誤りないものと認める旨を記載し、「佐藤」の印が押された附箋(乙第二十四号証の二)が附してあるが、右附箋は、成立に争いない乙第五号証、第二十二号証の一、原告本人尋問の結果を綜合すると、昭和二十四年四、五月頃、原告の気仙沼町警察署在勤中、同署次席佐藤常松警部補が右改ざんについて詰問した際、原告は東京府立第一中学校は実際に卒業したものであるから、警察練習所在所中、教官に断つて訂正したものである旨述べたので、佐藤警部補が原告の言を盲信してそのまま記載し、身上記録に貼付したものにすぎないことを認めるに足り、原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は措信し難いから、右附箋(乙第二十四号証の二)の記載は、上司の宥恕のあつたことの証拠とすることはできない。そして他に、上司が原告の右虚偽記載の事実を知りながら、これを宥恕したことを認めるに足る証拠は存しない。

(ロ) 右第二の一の(二)に認定した経歴詐称の事実について、前記乙第二十二号証の二及び原告本人尋問の結果を綜合すれば、昭和二十四年四、五月頃、原告が、気仙沼町警察署において、経歴の改ざんについて、前記佐藤警部補から詰問をうけたことはうかがえるが、同警部補は、これが虚偽の記載であることを知りながら訓戒のみで宥恕したとの原告本人尋問の結果は措信し難い。かえつて、前記乙第四、五号証によれば、同警部補及び同署長熊谷栄穂は、原告が、実際塩釜において刑事専務に従事していたものと信じていたことをうかがうに足る。その他、上司がこれを知りながら宥恕したことを認めるに足る証拠は存しない。

(ハ) 右第二の二の(一)に認定した服務規律違反の事実については、前記乙第十六、十七号証によると、右事件後、これを扱つた服部警部補及び千葉巡査部長は、原告の懲戒免職を上司に進言したが、当時は、第二次大戦中で、警察官に欠員が多く、補充が容易でない状況だつたため、懲戒処分の対象とすることを見合わせることになつたことが認められる。右事実は、本件免職処分から九年余前のことであるから、これのみを以て、原告の適格性を否定する事由とはなし得ないが、このように、当時の情勢上やむを得ず処分が留保された結果となつたにすぎない以上、他の同様な事由と綜合して、適格性判断の一事由とすることは妨げないというべきである。

(ニ) 右第二の二の(三)の(1)の(イ)(ロ)の各服務規律違反は、証人白鳥四郎(第二回)、千葉長人の証言によると、右違反のつど、原告には上司たる署長、次席、刑事係長などから注意がされたが、当時の気仙沼町警察署は、間もなく国家地方警察と統合されることになつていたので、原告に対する最終的な処分は、一括して国家地方警察に引き継がれたものであることを認めることができ、この点に関する原告本人尋問の結果は措信できないから、宥恕を受けた旨の原告の主張は採用することはできない。

四、よつて、本件免職処分は、国家公務員法第七十八条第三号に該当するものとして適法であり、その取消を求める原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 新妻太郎 桝田文郎 菊池信男)

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